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釈迦堂 念佛宗総本山無量壽寺

概要

世界三十三ヶ国・一地域の仏像・経典が奉納された未だかつてない世界唯一の寺院。
高さ31.3m(基壇、棟飾り込)、桁行(幅)39.2m、梁間(奥行)33.0m

中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作、全高10.8mの釈迦牟尼世尊像を祀っている。
その、深い慈悲を湛えた尊容は、仰ぐ者全てに、佛法の尊さを教え、佛像の頂部を覆うまでに深く屈曲した光背の美しさは、古来の歴史を顧みても比べるものがない。
四囲の欄間には、錠光如来から阿弥陀佛に至るまでの五十五佛の佛像、釈尊一代記、龍の彫刻、また、木鼻を厳飾する佛法守護の象と獅子の彫刻等々、1,464点の彫刻群によって荘厳されている。
堂内には世界五大陸 33カ国・一地域の法王猊下・佛教最高指導者および佛教国の国王陛下から奉納された佛像が安置されている。

世界三十三ヶ国・一地域の佛像が念佛宗(念仏宗)にお祀りされている意味
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の釈迦堂には佛教の源たる、釈迦牟尼世尊像をお祀りしている。
釈尊御入滅後、天竺を起点に佛教が世界各地に弘められると共に、それぞれの国の文化と信仰により形造られた佛像が、礼拝の対象として造られるようになった。
佛像は本来、安易に譲渡されるものではなく、祀る場所を変えるものでもありません。しかし、世界中の佛像、世界三十三ヶ国・一地域の仏教最高指導者及び、タイ王国国 プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下、マハー・ワチラロンコーン皇太子殿下、カンボジア王国、ブータン王国、ウガンダ トロ王国 各国国王陛下、大統領、首相閣下より奉納された釈迦如来像が、悠久の時を経て、ここ上三草(社)の地、念仏宗に結集している。それほど、この地には、世界中からの特別な思いが込められているということ。

参考 釈尊の御生涯
釈尊は、二千五百年の昔、北インドのヒマラヤのふもとにあったカピラ国の皇太子としてお生まれになりました。
幼い頃から何一つとして不自由のない生活を送られていましたが、ある日、人間には、どのようなものをもってしても解決できない根本的な苦しみがあることを知られ、その解決を求めて、二十九歳の御歳にて、地位・名誉・財産のすべてを投げ捨てて出家されました。
そして、六年間にわたり激しい苦行を積まれた末、苦伝は真の道ではないと知られ、苦行をも捨て去って、三十五歳の御歳、十二月八日、暁の明星が輝くとき、ブッダガヤの菩提樹の下にて悟りを聞かれ、あらゆる苦を離れた真のやすらぎの境地に達せられました。
釈尊は、それから四十五年間にわたるご生涯のすべてをかけて、ひたすら、自ら悟られた真実の道をあらゆる人々へ説き導かれました。
それは、生きとし生けるものすべてに幸福あれと願われる釈尊の広大無辺な慈悲のお心の表れに他なりません。
真実の道を自らの身をもって歩み、休むことなく人々へ説き続けられた釈尊は、八十歳の御歳、二月十五日にクシナガラの沙羅双樹(さらそうじゅ)の下にて、寂かに御入滅されました。
私達と同じ人間の身体を持って生まれ、私達と同じく苦しみ悩まれた末、人間がこの世に生まれた目的、すなわち「大涅槃」に至る道を発見され、あらゆる人々のために、その大涅槃の姿を自らの身をもって示され、御入滅されたのです。
釈尊はお姿を隠されましたが、その教えは、弟子達によって一言一句の誤りもなく膨大な経典としてまとめられ、インドの地から世界へ広まり、あらゆる人々へ真の幸福をもたらしたいとの、そのお心とともに、現代に伝わっているのです。

念佛宗(念仏宗)無量寿寺 釈迦堂 釈迦御一代記 欄間彫刻
釈迦堂外面の欄間には、八相成道(はっそうじょうどう)とも、釈迦八相とも言われる、釈迦御一代記が示されている。

1、降兜率 ごうとそつ
釈尊は、過去に八千回もの輪廻を繰り返し、兜率天に昇り、善慧菩薩(ぜんねぼさつ)となられました。
機が熟し「我今、佛陀と成るべく閻浮提(人間界)に生まれる」と、六牙の白い象に乗り、降臨されました。

2、入胎 にゅうたい
七月十五日、菩薩が、六牙の象に乗って虚空の中から来りて、胎内に入る夢を見られた摩耶夫人は、ある婆羅門より、「胎の子は必ず佛に成るべき瑞相を現している」
と教えられました。

3、誕生 たんじょう
四月八日、ルンピニlの花園の無憂樹(むうじゅ)の下で、摩耶夫人がその枝に手をかけた時、右脇から釈尊が誕生されました。
降誕された釈尊は、七歩歩まれ、右手で天、左手で地を示して「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と呱々の声をあげられ、七歩の跡には、
七茎の蓮華が生じました。

4、出家 しゅっけ
何の苦労もなく、ひときわ恵まれた環境で育てられたにもかかわらず、老、病、死の苦から逃れることができない、一切皆苦を悟られた釈尊は、地位、名誉、財産など、
全てを捨てて出家されました。御歳二十九歳。これ以後六年にわたる苦行を始められました。

5、苦行 くぎょう
多くの師について修行しても依然として、人間の苦悩の根本解決には至らず、釈尊は前正覚山(ぜんしょうがくざん)でただ一人、苦行を続けられました。
その凄まじさは、「過去にも、また未来にもこれ以上の苦行はない」とされるほどでした。

6、成道 じょうどう
苦行は、根本解決ではないと看破された釈尊は、尼連禅河(にれんざんが)で身を清められ、乳粥の供養を受けられると、菩提樹の下で膜想に入られました。
悟りを得るまで決してこの座を立たぬ、という強い決意のもと、欲望の支配者・悪魔を退け、ついに悟りを得られました。
写真:念佛宗(念仏宗)釈迦堂 成道 欄間彫刻

7、初転法輪 しょてんぽうりん
御自ら悟られた佛法を、人々に弘めるように梵天から懇願された釈尊は、かつての修行の仲間を訪ね、鹿野苑で五人の比丘に初めて佛法を説かれました。
これを「初転法輪」といいます。法輪を転ずるとは、最高の真理を世に宣布することです。

8、涅槃 ねはん
釈尊は、クシナガラの地で、沙羅双樹の下に身を横たえ、涅槃の時を迎えられました。
時は二月十五日。最後のお言葉は、「万物は移ろいゆく、怠りなく精進せよ」
その御入滅を惜しみ、時ならず沙羅双樹の純白の花が降り注ぎました。

このサイトは、個人が念仏宗無量寿寺の資料などを元に作成しており公式なものではありません。

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